2015年6月28日日曜日

2015年1月13日火曜日

カルチャー講座「西洋に渡った禅仏教」

2月から吉祥寺カルチャーセンターで「西洋に渡った禅仏教」と題して、代表的な禅とチベット仏教の英文著作6冊を拾い読みする講座を始めます。1980年代にアメリカで体験した禅仏教の広まり、欧米での在家修行者の修行等、在家修行者の立場から見た海外の禅仏教を、逸話も交えながら紹介します。


 1月24日〈土)は無料体験会も行います。ご興味あるかた、ぜひご参加ください。

2014年2月26日水曜日

Moriyama Daigyo Roshi

A message from Joshin sensei of La Demeure sans Limites:

le mardi 11 mars je vous propose de prendre le temps dans la soirée de faire zazen, d'aller regarder sur le site ( accueil du site, les lectures le lignage, Zuigakuin) la biographie et les réalisations de Moriyama Roshi, d'exprimer, par les moyens de votre choix,  votre gratitude envers lui, et envers tous les Maîtres, pour tout le travail accompli, pour avoir pris soin du Dharma, et pour nous avoir guidés avec compassion dans la Voie du Bouddha.
Je serai en zazen à partir de 19h.  

Tuesday, march 11th, I suggest you to take some time in the evening for zazen, to go on our home page to read Moriyama Roshi's biography, to find some ways – chanting, ogffering, so on-  to express your gratitude towards the Roshi and all the Masters for all the work they did, for taking care of the Dharma,
and for having been our guide in the Buddha's Way.
I will be sitting zazen from 7pm.

« Zazen est notre pratique, celle
qui a été transmise par M°Dogen
et par tous les Maîtres. C'est la première aile de l’oiseau; et la deuxième, c'est Sila, les préceptes.
C'est cela qui nous permet de voler 
dans le pur royaume du Dharma... »

« Zazen is our prctice, the one transmitted by M°Dogen and all the Patriarchs. It is the first wing of the bird.
The second one is sila, the precepts. This is what allowed us to fly freely in the pur Dharma World... »



2013年8月3日土曜日

龍門寺僧堂落慶・片桐老師25回忌法要

2013年6月30日、龍門寺の僧堂落慶および片桐大忍老師の25回忌法要が、アメリカ・アイオワ州の龍門寺で行われました。

法要には、(オレンジの法衣を着た龍門寺住職のワインコフ彰顕老師の右から)、永平寺後堂の斎藤芳寛老師、アメリカ三心禅センターの奥村正博老師、飛騨の正宗寺の原田道一老師、(ワインコフ彰顕老師の左に)曹洞宗北米総監のルメー大岳老師、片桐トモエさん等、約200名程の龍門寺ゆかりの参禅者等が出席しました。多くの人々が互いに数十年来の知人・友人で、和やかな時間がすごせました。

ミネソタで楢崎一光老師が弁道会を行ってからもう30年経ちました。残っているものもあれば、なくなったものもあり、さらに新たに生まれたものもあります。まさに無常。光陰矢の如しです。30年前の弁道会では、仏教修行のために、アメリカ人がなぜ文化の異なる日本の応量器の作法を学ばなければならないのかと、弁道会中にも係わらず、アメリカ人修行者同士で熱い議論が行われましたのを印象深く思い出します。その弁道会の参加者の多くと30年ぶりに再会することもできました。次の(30年目の)法要で何人と再会ができるのか、龍門寺がどうなっているか楽しみにしています。


法要の最後は、般若心経をコーラス曲とした歌も歌われ、アメリカ?らしい法要でした。実際の法要で歌われたものの記録は入手できませんでしたが、下記のようにアメリカでは良く歌われているようです。歌詞は主に般若心経の最後の三行です。

羯帝羯帝波羅羯帝(Gate Gate Paragate)
波羅僧羯帝(Parasamgate)          
菩提僧莎訶(Bodhi Svaha!)  




金曜坐禅会は8月から再開です。

2013年2月27日水曜日

Meditation for Moriyama Roshi with Joshin Sensei


Here is a letter from Joshin Sensei



Sunday, March 10th, from 9h30am to 11h30 am, we will sit quietly, in homage to Moriyama Roshi.
If you cannot come to sit with me, Joshin Sensei, and the French Sangha, we hope you will join us  in spirit, to give back to all sentient beings, the good fortune we had to meet a true Dharma teacher.

           

 The right transmission is Sampai- prosternations.

M°Dogen wrote, in the Shobogenzo chapter « Raihai Tokuzui » :

«When one practices supreme and perfect enlightenment, the most difficult task is to get a guide and teacher. That teacher is not in the form of a man or woman but rather will be a person of great resolve, will be just such a person. The teacher is not a person from the past nor a person from the present.
After you have encountered a guide and teacher, you should cast off the myriad distractions and, without losing a moment, devote yourself energetically to pursuing the way.

When you meet a teacher who speaks of supreme enlightenment, you must not consider the teacher’s caste; you must not look to see whether the features of the teacher’s face are pleasing; you must not scorn the teacher’s shortcomings; you must not think about the teacher’s behavior. You should do obeisance and respectfully pay homage to the teacher three times daily .
 When you behave in this way [toward your teacher], the path to enlightenment will surely appear... »




When we have the good fortune to meet a true master, M° Dogen's words are alive, and present for us at each moment of our life. Endless gratitude....


Joshin Sensei



2012年8月28日火曜日

無常迅速


ワインコフ彰顕


「生死事大、無常迅速」と言われますが、現実とならない限り私たちは信じようとしません。

 201244日、ショーシン・ボブ・ケリー和尚が亡くなりました。87歳でした。体力が尽きてしまったようです。彼は龍門寺設立メンバーの一人で、亡くなる1週間前に話したばかりでした。この知らせが来るのは分かっていましたが、彼の死を告げる電話を受けたとき、なかなか受け入れることができませんでした。空に光る雷のように、世の中はあっという間に変わってしまうものです

 龍門寺開山当初、敷地に建物は何もありませんでした。「空き缶に寝る」と言ってショーシンさんが小さなキャンピングトレーラーに寝泊まりしていた日々を思い出します。建物の工事が始った頃、ショーシンさんは本堂の床張り工事の手伝いで、電動のこぎりを使い樫の板を切っていたのですが、誤って小指の一部を切り落としたということもありました。仏像を彫り本堂の幕を作ってくれたのもショーシンさんです。新設した僧堂の文殊菩薩もそうです。

 人生はあっという間に過ぎ去ってしまいます。ダライラマは「皆、死が生の一部だと知っているが、それに対して誰も準備はできない。」と言っていました。身近な人が亡くなったとき「無常」が現実となります。それに捉われずにいるのは簡単なことではありません。

 人生について、各自それぞれの思いを持っています。何がほしいかほしくないか。物事がどの程度の速さで、どれだけ続くのか、それがどれだけ大事で、自分がどの程度耐えられるか等々。しかし、私たちのこんな思いを超え、この世はそれ自体の流れに従い進んでいきます。それ独自のリズムがあるのです。始まりのない過去から終わりのない未来へ向かう流れです。人生(個人のいのち)はこの流れの中で起こる、つかの間の現象なのです。

 「生死の中に佛あれば、生死なし(定山和尚、805-881)」と言われます。「生死の中に佛なければ、生死にまどはず(夾山和尚、771-853)」とも言われます。

 この「生(いのち)」は「私の」いのちではありません。私たちみんなのいのちは、始まりのない過去と終わりのない未来が具現化したものです。ある意味「生も無く、死も無い」とも言えます。道元禅師(13世紀)は「ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて、生死をはなるる分あり。(正法眼蔵生死の巻)」と言われました。

 では私たちに何ができるのでしょう。片桐老師は「生死の瞬間は私たちの考えを超えたところにある。自分自身が死と向き合う場面になったとき、私たちにできるのは一番最初の瞬間に戻ることだけだ」と言われました。この最初の瞬間とは、自分がどれだけ生きられるか、どのような死に方をするのか、その次に何が起きるか等の思いを超えた、その瞬間そのものです。

 だから道元禅師は「生というときには、生よりほかにものなく滅というときは、滅のほかにものなし。かるがゆえに、生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがふことなかれ。」と言われたのです。

 ショーシン・ボブ・ケリー和尚の死そのものが彼の最後の教え、無常迅速、です。
それでも、花が散るのを見るのはつらいものです。