病院での死 Facing Death
禅の僧堂には時を告げたり行事の始まりや終わりを告げるために、木槌で打ち鳴らす木版(もっぱん)というものがある。この木版には以下の言葉が書いてあります。 「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時人不待」 "Life & death are of supreme importance. Time passes swiftly and opportunity is lost. Each of us must strive to awaken." 生死の問題は一大事、人生は短いのだから無為に時を過ごさないように、という意味である。 しかし禅堂で教えられなくとも、残念ながら、ほとんど全ての人が生死に直面しなければならない。それも最初に直面するのは、自身の生死ではなく、最も愛する人の生死である。そんなビデオがある。アメリカのPublic Broadcasting Station ( PBS )という放送局が作成した。ビデオは英語だが、肉親を看とった経験がある人であれば、何を言っているか大体理解できるだろう。 Facing Death 死に直面して 病院に入院するとほとんどの人が最終的には治療されて健康になって退院できると期待する。しかし、あるポイントを過ぎてしまうと、医者ができるのは延命治療だけである。しかも。ガンの末期や脳梗塞等、重篤な状態で入院した場合、コミュニケーションがとれなくなり、患者本人のかわりに家族が決断を下さなければならなくなるのだ。 問題を複雑にしているのは、現代の医療をもってすれば、何十年か前であれば救えなかった命でも、さまざまな医療機械によって患者を「生かして」おくことができるのである。しかし家族でも、延命治療を患者自身が望んでいたのか、どのように感じているのか分からない。経済的な負担もある。家族が生死を決定しなければならないのである。